2008年07月15日

素朴な女性

4101302723 一作一作を読み終えながら、心に残るのは、バルサのあたたかさや穏やかさ、そして素朴さなのです。

 バルサは三十過ぎの女性です。≪短槍使いのバルサ≫と名を知られる、凄腕の用心棒です。
 彼女は非常に俊敏です。何にも無駄がなく、いつでも醒めています。殺伐とした世界の真ん中あたりを、時に傷つきそして傷つけながら、すいすいと歩んでいるのです。
 しかし、そうだというのに、彼女は素朴です。彼女を思うとき、その素朴さやあたたかさや穏やかさを、忘れることが誰も出来ない。バルサは魂の奥のほうには激しいものをも持っているのですが、しかし彼女は、落ち着きのある聞きやすい低い声をした、人に安心すら与える女性なのです。

 たいへんな人生を負っている彼女だというのに、この素朴さ、このあたたかさや穏やかさは、どうしてなのでしょう。たくさんの血が流れる世界をすいすいと生きているバルサに、読者のわたしまでもが、信頼の心を持つのはどうしてでしょう。

 上橋 菜穂子 『精霊の守り人』 のシリーズを読んでいます。主人公のバルサがとても魅力的で、わたしはずっと彼女に触れていたい。読み終えてしまうのが残念で、熱心に、そしてちびちび読んでいます。

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2006年06月12日

かわいそに

404883861X 田辺聖子さんの「残花亭日暦」を読みました。図書館でふと手にして、ぱっと開いたその頁にある歌がのっていて、それをすぐに大好きになったためです。わたしはその本を、立ち読みするのではなく、ちゃんと借りて、家でじっくり読むことにしました。
 最初にわたしの目に飛び込んできて、そして大好きになったという歌とは、こういうものでした。
「いささかは 苦労しましたと いいたいが 苦労が聞いたら 怒りよるやろ」

 重みと軽さを持つ、こういった表現に、bkntmrgは憧れてやまないのです。

 家に帰りつき、ちゃんと読み始めれば、この本は田辺さんの日常をえがいた日記エッセイであり、そして主には、夫との別れが綴られているということがわかりました。
 夫の入院、看病、死別。こう並べられると、かなしみや苦しみ、というものばかりが連想されるでありましょうが、この本にあるのは、そういうものではありませんでした。かなしみというのではない何ものかが、bkntmrgを涙ぐませました。それは、愛別離苦の共感、というものとは、少し違うのです。
 入院をしている夫のところへ、田辺さんが行きます。これは、夫の死の二ヶ月半前の日付の日記からの引用です。文中の"彼"というのは田辺さんの夫のことです。
 テレビの音は絞ってあって、病院内は静かだった。広い窓の外は半分、夕焼け。そんなつもりはなかったのに、傍の小椅子に坐り、おだやかな表情の彼を見るうち、子供のように顔が歪んで、涙が出てしまった。彼は私に目を当て、ゆっくりと一語ずつくぎりながらつぶやく。
<かわいそに。
 ワシは あんたの。
 味方やで。>
 ――ここでわッと泣ければよかったのだが私は涙が引ッこんで、思わず笑ってしまい、
<なにも五七五でいわなくてもええやないの、パパ!……それ、川柳のつもり!?>
 うるわしい夫婦愛の愁嘆場がお笑いになって、彼もにやりとした。そして再びいう。
<アンタかわいそうや、いうとんねん>
<?>
<ワシはアンタの味方や。それ、いいとうて>

 夫の来るべき死を思い、妻が泣いてしまう。それを見て、かわいそうや、と言う夫。こんなふうに解説すれば、とても重いですが、この夫婦のやりとりは、ひたすら軽さがあって、かつ思いやりに満ちています。bkntmrgは、本当に憧れてやみません。
 そして思わず、わたしは自分自身を想うのです。
 「かわいそに。ワシは あんたの。味方やで。」
 こんなふうに言ってくれる人が、傍にいてくれていたなら、いてくれるなら、どんなにかいいだろう。
 「残花亭日暦」は、田辺聖子さんの他のあらゆる著作となんら変わりのない、良い本でした。肩から力が抜けた、笑いと愛情の本。ある夫婦の、ある男と女の、別れの話。重みと軽さをあわせもつ、bkntmrgが憧れてやまない、人と人との繋がりの描かれた本でした。
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2006年02月04日

ブランコの二人

B000BSSC9W この映画の主人公・ボウンのような女の子が、いやそれとも、ボウンを演じたムン・グニョンという女の子が、今この瞬間もどこかにいて、わらったり、泣いたり、しているんだなぁと。そう思っただけで、bkntmrgは何だかとてもうれしくなってしまう。こんなかわいらしい女の子が、どこかにいるということ自体が、とても素敵な知らせ。生きていく勇気が湧く、というくらいの……。

 そして、もう一人の主人公・サンミンのこと。誰にも気付かれなくても、ボウンのことを愛しく思い、静かに見守って、包み込んでいる。派手さはないけれども、彼の淡々としたやさしさに、心があたたかくならないわけにいかない。

 "韓国映画史上、最高のカラオケシーン"との評判通り、カラオケのシーンは本当に楽しいし、そしてかわいらしい。ボウンとサンミンのかけあいは、どのシーンも、あは、と思わず笑ってしまう。
 好きなシーンは本当にたくさんある。

 だけど、わたしの一番は、ブランコのシーン。
 ボウンがブランコのところで泣いている。そこにサンミンがやって来て言う。
 「みんなが心配しているよ」
 この時サンミンの心には、ボウンへの愛情しかない。彼女のことを知っていて、本当にただ心配をして、横にいるだけなのだ。
 わたしはこのシーン、切り抜いて、出来るならばずっと、きゅっと胸に抱いていたい。

 「わーい♪」とうれしくなって、そして、抱きしめたくなるような。とてもかわいらしい映画。そして、とてもしあわせな映画。観ることができて、良かった。
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2006年02月03日

きれいな映画

B00005LA39 映画『リトル・ダンサー』を観ました。
 わたしは過去の11年間、クラシックバレエをやっていたのですね。そして、T.REXをよく聴いていた時期もあって、それでこの映画は、わたしとしては観ないわけにはいかなかったのでした。やっと観ました。

 バレエをやりたい11才の男の子、ビリーの、人生のスタートの話です。
 理屈ではなしに、言葉よりも先に、身も心もダンスすることに向いてしまってやまないビリーの様子や、そしてそのダンスが、とても素敵でした。
 そして、ビリーの才能をのばすため、夢をかなえるため、周囲の大人たちが、動き出していく。その様子が、本当にきれいでした。

 彼はバレエをやりたい。しかし、「バレエなんて、女がやるものだ」と言って、ビリーの父親は最初、絶対に許そうとはしませんでした。
 しかしクリスマスの晩に、父親はビリーが踊るのをはじめて見て、そのまま、わわわーっと走り出してしまう。
 父親はこの後、自分自身のそれまでのことを水の泡にしてしまっても、ビリーのバレエの夢をかなえたいと、動き出すのですね。

 実を言うと、bkntmrgは感激してしまい、この映画を二度立て続けに見たのですが、二度目に観たときには、特に、この父親の姿に泣けてしまいました。
 誰かのしあわせのために、自分の何かを犠牲にする。それは、本当に有り難いことですね。非常に純なもの、きれいなものが、この映画には描かれています。そう思う。bkntmrgは、これを書きながらもまた涙ぐんだりさえしています。

 何年か経って、ビリーは初舞台を踏むのですが、その時の、観客席の父親の表情が、本当に印象的でした。
 まるで自らが夢をつかんだというような表情。うれしさや、ほこらしさをかみしめるかのような表情。わたしは忘れられそうにありません。

 bkntmrgは感激しているものですから、熱く書いてしまっているのですが、映画自体は、さらりとしていて、おしつけがましさのほとんどない、良い映画でした。とてもきれいだった。

 父親のことだけではなくて、主人公ビリーのダンスの素敵さも、もっとちゃんと言っておかなくてはいけません。
 ビリーのダンスのシーンには、どれもしあわせな気分になりましたが、特にオーディションでの彼のダンスには、わぁ、と顔をほころばせてしまいました。なにせ作中の周囲の人たちと一緒になって、わたしもまた、彼の夢の応援をしたくなってしまうような、純で、素敵なダンスなのです。ビリーが、そのオーディションに受かったことがわかった瞬間には、画面の前で、思わず「おー!」と声をあげてしまった、そういうわたしでした。
 そうですね、他にも、オーディションのシーンで、「踊っているときはどんな気持ちが?」と訊ねられたときのビリーの返事には、面接官と一緒になって、わたしも感じ入ってしまいました。あ、そうだ。ビリーが出発をするときの、おにいさんの一言も、良かったな。T.REXの曲が、映画によくあっていて、それも良かった。
 興味を持たれた方は、是非、観てみて下さい。bkntmrgという人間がどういう映画に感激してしまうのかを、知ってみたい人も、是非。
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2006年01月22日

星(セイ)

 萩尾望都さんの作品が、わたしはとても好きなのですが、なかでも『スター・レッド』は、よく思い出してしまう作品です。
 壮大なSFなのですが、同時に愛の話でもあります。

 一つの星、一つの運命に恋をする少女、星(セイ)と、異星人エルグの愛の話。
 特にエルグの最後の言葉には、何度読んでも胸を打たれてしまうわたしです。

 「きみを独りじめにし 数千年の孤独を すべてうめたかった」

 このように綴られる一連の独白を、物語の最終で、ぜひあなたにも読んで頂きたい。
 わたしはblogで紹介をしているもののほとんどを、特に「おすすめ!」してはいないのですが、萩尾望都さんの作品は、おすすめ!と言っていて良いかなぁと思っています。個々の好みの問題は大きいですが、萩尾望都さんなら、読んで決して損ではないと思うのです。
 (ちなみに、もうひとつだけ「おすすめ!」と言いたいのは、西原理恵子さんの『うつくしい のはら』という短編です。現在、その短編が載っている単行本が出ているのですが、しかしその単行本自体は、おすすめではないので、特に彼女のファンではないならば、立ち読みされることをおすすめしておきたいと思います。)

スター・レッド 萩尾 望都

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 さて……。この先は、bkntmrgの独り言。

bkntmrgの独り言を読む?
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2005年07月29日

うつくしい のはら

 雑誌を買ってから、電車に乗った。
 空席を見つけて、そこに坐った。
 発車する。
 窓からは、移りゆく景色の向こうからの夕暮れの光。

 ひとつだけ読みたいものがあって、それでその雑誌を選んだ。
 電車に揺られながら、それを読んだ。

 読み終えて、こらえきれなかった。
 泣いてしまった。

 マンガ雑誌を読んで、ひとまえで泣いてしまっている大人を、あなたは見たことがありますか。
 わたしはない。
 涙をぬぐっているわたしを、車中の人達は、どんなふうに見ただろう。

 空がだんだん暗くなっていくのを、幾度も目をぬぐいながら、窓越しに見ていた。

   ★

西原理恵子「うつくしい のはら」を読んで…
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2005年06月16日

しあわせな気分をくれた彼

 たった一度や二度、見かけただけだというのに、わたしの心はもう、彼のことを忘れられなくなっていました。

STYLE SE7EN

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光 SE7EN (1) - Just Listen... / Seven vol.1 - Just Listen... (韓国盤) Must Listen (韓国盤)

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 「STYLE」という曲を演じるSE7ENの姿を見ました。

 にこにこと実に楽しそうに歌う。そして、その歌も非常にうまい。
 そして何より、わたしが最初驚き、次には歓喜してしまったのは、彼のダンスです。
 こんなダンスは、本当に久々に見ました。こんな、才能のある人のダンスに、わたしは過去、幾度も出逢ってはいません。

 音楽をその手にしている、というのではない。振り付けを華麗に踊れる、というのでもない。
 彼は、音楽そのもの。ダンスそのものです。
 音楽そのものが、ダンスそのものが目の前にある。たとえば風や雲やそういうもの、彼は、そういう自然の現れなんだと。そういう気がして、わたしはもうしあわせな気分で、そして彼のことを忘れられなくなっていました。

 彼はいつの時代の、どの場所で生まれていても、きっと歌をうたっていたのではないでしょうか。ダンスをしていたのではないでしょうか。
 それにしても、世界の片隅にいるわたしが、そんな彼のダンスを見て、しあわせな気分になる。そのことに、不思議を思います。それは、出逢いの不思議。
 もしかしたら出逢えないかもしれなかった。だから、すべての出逢いは、不思議なものですね。
 まあ、SE7ENというアーティストが、大きなものだったからこその、当たり前の一方的な出逢いですが、だけどもとにかく、わたしはうれしかった。
 amazonでCDをまとめて購入。この何日か、ずっとSE7ENばかりを聴いています。
 憂鬱な日々のなかで、楽しそうにうたうSE7ENの姿を思うとき、彼のダンスを思い出すたびに、わたしはなんだかしあわせな気分なんです。


 Link : SE7EN Official Site LUCKY SE7EN-JAPAN-
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2005年06月05日

Bittersweet Life

 「甘い人生」という映画に、ここ何日か、わたしの心がとまったままです。

 原題は「Bittersweet Life」。ほろにがい人生、ですね。こちらの題のほうが、より合っているような気がします。イ・ビョンホンさん主演の、韓国の映画です。R-15の指定になっています。

 ここなどで見ると、「人を愛したことのない一人の男の一瞬の選択。命がけで愛した者を守る、究極のラブストーリー」とあるのですが、そういう内容ではない、と断言すらしたいわたしです。
 わたしがもし紹介をするなら、「ひとりの男の一瞬の心の揺れが、何もかもの歯車を狂わせ、そしてすべてを破滅させてゆく」……といったところでしょうか。
 R-15というのは、暴力的な表現があるせいで、わたしなどはR-18のほうがいいんじゃないかと思うくらいでした。残虐なシーンが多々ある、やくざ映画です。

 見続けるのがつらくなるくらいの暴力の描写。そして、何の救いもないように見えるラスト。
 だのに、わたしはどうにも忘れられない。そして、それは、嫌な記憶としてではないのです。

 イ・ビョンホンさん自身が「これは僕の代表作になるだろう」と言っていて、確かに、そういう映画であるかもしれません。
 イ・ビョンホンさんが、非常に魅力的な映画でした。そこが本当に本当にすばらしかった。

 ですが、わたしの心をいつまでも捉えているのは、イ・ビョンホンさんではなく、彼の演じるキム・ソヌという主人公です。
 そして、わたしの心に何度も何度もよみがえるのは、映画の最後で出てくる主人公の台詞「むごすぎる…」ではなく、柳と風と心の禅問答でも叶わぬ夢の話でもなく、正真正銘の最後の最後のカット。ソヌが、夜の街を見下ろす窓ガラスに自らをうつしてシャドウボクシングをする姿、シャドウボクシングの果てに、思わず笑みをこぼしている姿なのでした。


観ていない人には更にちんぷんかんぷんな感想の続き
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2005年04月01日

叙情と、純情と、本当のこと

毎日かあさん2 お入学編 西原理恵子

毎日かあさん2 お入学編


毎日かあさん カニ母編 鳥頭紀行―ジャングル編 ぼくんち―スピリッツとりあたまコミックス (2) 最後のアジアパー伝 上京ものがたり

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 たとえば彼女の、その激烈さ、決して上品だとは言えない話題や表現、そしてその辛辣さに、眉をひそめたり眼をまわしたりする人も、多くいるのだろうと思う。

 だけども、西原理恵子さんのファンなら、誰でも、きっと知っているだろう。
 彼女が、抒情詩人であり、誰かを大切に想うことの出来る人、愛情豊かな人であり、そして、純情の人なのだということを。


 二児の母である西原さんの、家族へと向けられた眼は、時に穏やかでも上品でもなく、だけども、とてもあたたかである。

 誰かを大切に想い、そして一貫して、"本当のこと"をも見つめようとしてやまない。彼女の、辛辣であったり、あたたかであったりするそのまなざしが、目の前の特定の誰かに対してだけではなく、ひろく"人間"へと向けられていることを感じるにつけ、彼女の作家としての、もしくは詩人としての到達度の高さ、というようなことも、わたしは勝手に思うのだ。


 万人におすすめしたいというわけでもないのだが、しかし、彼女を見誤ってはいけない、とだけは、言おう。小声で。
 近作の「毎日かあさん」や「上京ものがたり」、などなどの、多くの作品の中に見られる彼女の叙情や、純情、"本当のこと"が、わたしには、とても心地よい。
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2005年02月20日

かわいく、品よく、さっそうと。

翼のある言葉 紀田 順一郎



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 名言集の類を、わたしは買うことはないのだが、紀田順一郎さんという人の『翼のある言葉』という本には、思わず手が出たのだった。題名に目がとまり、本屋でぺらぺらとめくるうちに、心が震えてきたのだ。
 この本の題名は、ドイツ語の"Geflugeltes Wort(翼をそなえた言葉)"からとっているのだそうで、意味は「時と場所を越えて胸に飛び込んでくる言葉」のことだと、カバーの裏に書いてあった。
 また、"自ら落ち込んだ時、挫折した時に、励みとし、心の支えとした選りすぐりの言葉を集めた"とある。
 わたしにとっても、そういうものになるような言葉の、ぎっしりつまった本だ。わたしの、うれしかった出逢いの一つだ。

  ★

 心につらさを抱えて、ひとり壁によりかかって、この本を読んでいた、そんな時に、心を熱くしたのは、この言葉を紹介する頁だった。

気持ちが萎え、ときには涙することもあった。だが、涙を恥じることはない。この涙は、苦しむ勇気をもっていることの証だからだ。(V・E・フランクル『夜と霧』より)

 欲しいと願った"勇気"というものを、ではわたしは、既に、持っているのかな……。
 そう思ったら、それが希望の灯のように、心にともった。心にあるつらさが、無くなったわけではなく、涙を流す自分も、いなくなるわけではなかったが、それでも……。
 わたしは、うれしかったのだと思う。

  ★

 また別の頁。
 『モンテ・クリスト伯』や『三銃士』の作者、アレクサンドル・デュマの言葉には、なんだか、にこにことしてしまう。
 自分の息子の姿勢が悪いのを見て、意見したときの言葉。

「いいかい、姿勢というものを持っているのは人間だけなんだぜ。動物には形はあるが、姿勢はないんだ。ほんとうの人間なら、歩くときに、ひと足ごとに自分の足が、広大な宇宙の一部である地球という天体に触れていることを認識してるんだ。それにお前は、この地球の全表面が、お前とおれだけが名乗る権利をもっているアレクサンドル・デュマという名で鳴り響いていることを忘れてはならんのだ。さあ、今日からは、天文学的に歩いてくれよ」

 ああ、良いな。こういうことを言う男性が、わたしは好きだ。

  ★

 本を購入したのは、昨年の初春。わたしがつらさを抱えていたその頃に、一緒に花見をした人のことを、今、思い出している。なぜか、わたしの心に浮かぶのは、その人の泣いてる顔で……。

 その人の幻に、心のなかで語りかけている。

 (かわいく、品よく、さっそうと、歩いて行きたいな。

 そしてまた、あなたに会いたい。)

 もしも、この想いがその人に届いたとき……。うれしいと、思ってくれるだろうか。もし、そう思ってくれたら、しあわせだな。
 なんだか、そんなことを、今夜は思っている。
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2005年02月02日

お会いしてみたかった

男、が、いた。開高健 ―Noboru Takahashi photographic book 高橋 昇



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 旅先で見つけ、すぐに買いました。旅では荷を軽くしていたいのですが、欲しい本は、その場で手に入れなければ、もう会えないような気がして。それで、いつも、ついつい買ってしまいます。荷は確実に重くなるのだけど。


 「オーパ!」のシリーズなどで、開高健さんと共に旅をしたカメラマン、高橋昇さんが編んだ写真集です。
 めくってもめくっても、ころころの小太りのいたずら眼のおっちゃん、しか映っていません。だけど、どうしてなんだろう、わたしは見ていて、うれしくなるのでした。好きだという気持ちって、不思議なものだね。


 本のタイトルがあって、一つめくると、原稿用紙と万年筆の写真。そこから更に五つめくる。それとも六つめくる。左の頁には、開高健さんのアップが映っています。頬杖ついて、まっすぐカメラを見つめている。

 ほほえんでいるような。それとも、かなしんでいるような。つきぬけた高い空のように、醒めた心で、何もかもを透し見るような。それとも、常に何かに心を震わせ、涙で潤ませているような。
 そんな瞳を持つ、開高健さんが、わたしは好きです。

 文学を追い、戦争を追い、生や、性を追い。釣りをして、食や酒をつきつめ楽しんで。おそらく絶望をも抱えながら、自分の人生に真摯に親しんだ、冗談好きのいたずら眼の、男性。
 そんな開高健さんが、わたしは好きです。

 いつか、お会いしてみたかった。
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2005年01月29日

さみしい日

 たとえ、誠実さを尽くしていたとしても、誰かに悲しみをもたらしたり傷を負わせてしまったり、することもあるのだと、わたしはちょっと知っている。
 どうしようもないことだったと、最善はつくしたのだと、そう自らを慰めてはみても、それでも自分との関わりの果てで、誰かが泣いたのだと思えば、深く、悲しみに包まれてしまう。

  ★

 Billy Joel の 「Honesty」 という曲が好きで、部屋でひとりで聴く。わたしにとっては、少しだけとっておきの、好きな一曲である。

Honesty is such a lonely word.


 「"誠実さ"とは、なんとさみしい言葉なのだろう」

 このフレーズが、この歌が、Billy Joel のもとへ舞い降り、全身に鳴り響いたとき、彼の瞳には、どんな景色が映っていたのだろう。

 なんとさみしい言葉……。
 この意味が、わからないとも思う。でもやっぱり、わかるような気も、するのだ。
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2004年10月08日

童話屋 まど・みちお「ぼくがここに」 辻征夫「船出」

 童話屋という出版社があります。わたしはこの出版社が出している文庫の詩集が、わりとお気に入りです。
 小さい、文庫のサイズの、ハードカバーの本です。

 近年、詩のアンソロジーが、同じ様な体裁(文庫サイズのハードカバー)で、幾冊か出版されていました(具体的には名をあげませんが)。やはり同じようなアンソロジーが童話屋さんから既に出されていて、その内容に比べると、他の出版社から出されたものは、どれも見劣りするような気がしました。撰ぶ人によって、アンソロジーの色も質も、かなり変わってきます。
(アンソロジーで、童話屋さんから出ているものは、「ポケット詩集」「ポケット詩集〈2〉」「幼い子の詩集 パタポン〈1〉」「幼い子の詩集 パタポン〈2〉」でしょうか。他にももしかしたらあったかもしれません。)

 読んで、やさしいような気持ちになれる詩、心の緊張がふっと解けて穏やかな凪になれるような詩。心をしんと静かにさせてくれる詩。童話屋さんは、たぶん、そういうものを伝えたい・出版したい、人達なのではないか、という気がします。そして、詩をみる眼の確かさ、厳しさを確固として持った人達ではないか、という気がします。
 この出版社の、"詩をみる眼"を、わたしは信頼しているようです。というか、好み、なんですね。


  ★


 童話屋さんが出版している詩の文庫で、特に二冊をあげたい、と思います。

 一冊目は、まど・みちおさんの詩集、「ぼくがここに」
 この本は、自分で購入した、はじめての詩集でした。ひとりの作者の作品を集めた詩集では、この本がはじめてです。
 本屋で見かけてふっと手に取り、開いたところが、本のタイトルにもされている「ぼくが ここに」という詩でした。そこには、当時のわたしが、誰かから言ってもらいたかったような言葉が、書かれてありました。
 まど・みちおさんは好きな詩人です。そして「ぼくが ここに」は、今でも、大好きな詩です。



 二冊目は、辻征夫さんの、「船出」です。

船出
辻 征夫


 わたしは辻征夫さんが好きです。
 旅をするとき、もしも本を持っていくとしたら、辻さんの詩集を選んでいることが多いです。荷物は軽くしたいので、なかでも一冊。思潮社の現代詩文庫から出ている「辻征夫詩集」、もしくは「続・辻征夫詩集」。そうでない場合は、童話屋さんの「船出」です。
 童話屋さんの詩文庫「船出」は、まさに、わたしのかわりに撰んでくれたんじゃないかというくらいに、わたしの好きな作品ばかり、収録されています。
 特に、本のタイトルにもなった「船出」は、本当に好きな作品です。この詩は、現代詩文庫のほうには、載せられていません。

 「船出」は、"死"を描いている作品です。死の床にある昔の遊び仲間の従兄弟に向けて、辻さんがささやいている詩だと、編者のあとがきにありました。

 なんという静かな、詩なんだろう。
 この詩を読んだとき、わたしの心に、ひろいひろい静謐な空間がうまれます。そのことを、思い出します。

 もともとは「萌えいづる若葉に対峙して」という詩集で、発表された作品です。ですが、「船出」という詩に興味を持たれた方に、もし購入をおすすめするなら、童話屋さんの詩集「船出」です。
 他に収録されている詩も、ぜんぶわたしのおすすめばかりです。
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2004年09月30日

オープン・エンディング

 何年か前から、わたしは小説をあまり読まなくなった。
 なんでもかんでも乱読していた時期を過ぎ、次に厳選して読むようになり、そして、ある時からほとんど読まなくなった。
 小説を読んでも、その作者の心の流れ、思考の流れを辿っているような、そんな気がしてならなくなったからで、そしてわたしは、それはもういらない。
 ここちよく無になって、流れにのれる物語ならば読みたいが、手に取りたくなる本に、ここ何年かほとんど出逢っていない。
 好きな作家は何人かいて、たとえば開高健がそうだし、ジェイムズ・エルロイもたぶんまだ好きだ。興味を失わずにいる小説家もいないわけではない。
 そして、小説のなかでも、興味を失わずにいるジャンルも、なくはない。

 ペーター=ヘルトリングは、いま翻訳されている本は、おそらくすべて読んでいる。児童文学がほとんどだ。
 児童文学は好きなのだ。作家と作品とを、自分の好みにあわせて厳選して読んでいるので、ひとくくりにして話すのはおかしいけれども、今の日本の小説なんぞ、読んでいる暇なんてないですよ。読書好きで、心のことに関心があって、そして児童文学にまだ触れていない人には、おすすめする。児童文学は良いです。

 ペーター=ヘルトリングの作品では、「ヒルベルという子がいた」を推したいが、「おばあちゃん」「ヨーンじいちゃん」も良かった。「ぼくは松葉杖のおじさんとあった」も良かった。「屋根にのるレーナ」なんかも。

 児童文学ではない自伝的な小説「おくればせの愛」も印象深かった。わたしにとっては、"ここちよく無になって、流れにのれる物語"では実はなかったのだが……。読み終えたあと、題名が本当に心にしみたし、そして翻訳者によるあとがきに引用されていた作者の詩(作者は本国では、詩人としての活動が最初であったらしい。詩と、小説と、児童文学の作家なのだ。)には、涙しそうになった。図書館のかたすみで、天を仰いで、ああ!と声を出しそうになった。あの詩は良かった。


 この記事のタイトルは、ヘルトリングが、いつか語った言葉である。
 児童文学だからといって、子供に読ませるものだからといって、ハッピー・エンディングを書き、それだけを与える、ということをしたくない。人生は、ハッピー・エンディングばかりではないからだ。何かが解決しようと、何も変わりはしなくても、ただ生きることは続いていく。物語の着地点は、何かが閉じられるのではないものにしたい。小説の終わりは、何かの終わりかもしれないが、またはじまりの地でもあり、主人公の前には、開かれた世界がある。道は続いていく。そういうものを書き、子供に伝えたい。自分は、オープン・エンディングを書きたいんだ。
 ……というようなことを語っていた、と思う。
 と思う、と書いたのは、これがもう、わたしの言葉になっているからだ。

 ヘルトリングは、オープン・エンディングを書く作家だ、とわたしは思っている。翻訳新刊本がでれば、読みたい作家の一人だ。
 何よりもこの、「オープン・エンディング」という言葉を、わたしの指針になる言葉を与えてくれただけでも、ヘルトリングの本との出逢いは、うれしかった。


 わたしもまた、オープン・エンディングを描きたい。ハッピーでもバッドでもなく、オープン・エンディングを。

追記
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2004年09月27日

CD「夢の記録」村下孝蔵、書籍「詩の話をしよう」辻征夫

夢の記録 村下孝蔵




 わたしの大好きなシンガー/ソングライター村下孝蔵さんが、亡くなった後に出された3枚組のCD。
 特別におすすめしたい気持ちは、実はない(だって、これに収録されていない良い歌が、まだまだ沢山沢山、他のアルバムにもあるんだもの)のだが、プロデューサー須藤晃氏の文章「制作ノート」から、一部を抜粋したくて、このCDを選んで載せてみました。

 村下孝蔵が20年間に渡って地道にこしらえてきた音楽世界は単純明快である。それはメインストリームの脇を真っ直ぐに流れている蒸留水のようなものだ。だいたい脇の水は流れのごみをためてきれいな水ではないものだ。だが、村下さんの音楽は音楽シーンの中では本流でなかったが、脇を滔々と流れている美しい水流のようだった。それは確かなことである。


 『シーンの中では本流ではなかったが、脇を滔々と流れている美しい水流のようだった……』
 いいなぁと思う。
 わたしも、そのようにいられたらいい。
 Major でなくていい。ひとり、脇を流れる美しい水流。そのようであれたら、わたしはしあわせである……。


  ★


詩の話をしよう 辻 征夫




 先日、本を買った。大好きな詩人、辻征夫さんの言葉に、再び出逢えて、わたしはうれしかった。

(ところで、わたしは同時に、辻征夫詩集成<新版>も購入した。
 わたしは、<新版>ではないほうも持っていた。<新版>のほうは、随分と作品数が増えていて、これを買わないわけにはいかなかったわたしは、"おんなじ本"を再び購入してしまった。
 初版は3,800円+税。新版は4,800円+税。この内、3,800円分は同じ内容である。<新版>でないほうのこの厚い詩集を、どうしたらいいかしらと、わたしは困っている最中だ。まあ、これは余談です。まったく、もう。)

 『詩の話をしよう』という本は、辻さんが、同じく詩人の山本かずこさんを聞き手にして、詩の話をしている本だ。

 ……で、詩のことだけど、僕は若い頃ね、小川とか渓流とかでよく遊んだけれど、あんまり流れの激しくないところに、透明なビニールの袋に水をいっぱい入れて、それを石にちょっと寄っかからせて、バランスとって、立てておくの。そうすると、水がいっぱい入ってるから、立ってるのね。
 キラキラ光った透明な水だけど、それに石ぶつけるとバランス崩して、一瞬、ぺちゃんこになっちゃうんだ。<中略> あれが僕じゃないかと思った。危うくバランスをとって立っているうすーい袋。口元までいっぱい水が入ってるでしょう。その水は、経験とか感情とか、自分の内面というもので、バランスをとっていて、透明でキラキラ光っている。
 ところが、その水を濁らせちゃいけない。人に嫉妬したり、評価されないと悶々としたり、何か羨んだり、要するに我執というものがあんまり強いと、透明な水というものが、濁ると思うんだね。そしたら、詩に絶対表われる。僕はそれを十代の頃考えたかな、河原で石ぶつけて遊んでいて、それで、なんとか濁らせないで、ああいうふうに立っていたいって。


 これは「詩の話」だけれども、それだけにはおさまりきらない。
 この後に『だから、そんなこと長年やっていたら、くたびれちゃうのは当たり前なんだ(笑)。僕なんか、ほんとによろよろしちゃう(笑)』と続くのだが、それは、そんなたいへんな行をつむような姿勢のまま、生と、そして詩と向かい合い続けた辻さんの、言い訳でも弱音でもない、本音であっただろうと思う。辻さんは、当時すでに、詩から離れていっていた。

 また、この本の帯にも引用されている辻さんの言葉。

 僕はくたびれちゃったけど、これから書こうとするひとや、まだまだ書き続けてほしいひとに言いたいのは、やっぱり、何年書いても、いくつになっても、基本は同じだということ。生涯無名でいいやって、覚悟がないと駄目だと思うんだ。



  ★


 メインストリームではないが、脇を滔々と流れている美しい水流。わたしが目指すとしたらそこだと思う。

 生涯無名でいい。そうとも本当に思っていた。

 だけれども、今は、本当にその覚悟を持っていたのかと自らに問うとき、わたしはすこし後ろめたい思いになる。いじけている気持ちが、そう言わせていたのではないのか……。わたしは胸をはっていただろうか……。


  ★


 わたし、生涯無名でいいんだ。どこの誰が、何を言おうと、何をしようと、関係ない。

 本流にはたぶんなれない。脇を滔々と流れる美しい水流のように、そんなふうに、詩を書いていこうと思います。


 思うことがあり、ここ何年か意志をもって、詩から、ネットから離れていました。

 でもまた、はじめてみようと思っています。
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2004年09月21日

DVD 村下孝蔵「純情」

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 いろんな人のいろんな歌を聴き、楽しみ、生きているが、わたしは彼のところに、何度も何度も帰ってきている。
 ひとりの時間に、そっとくちずさむのは、いつもいつも彼の歌だ。

 村下孝蔵さんの、うたっている姿を、しかしわたしは、ほとんど見たことがない。
 「初恋」や「踊り子」がヒットしていた時を、わたしは知らない。

 わたしが二十歳の頃だ、村下さんの歌に出逢ったのは。出逢った日から十年間、わたしのそばには、彼の歌がずっとある。
 好きな歌が、いくつもいくつもいくつもある。彼のつくる歌は、かなしい恋のうたが多い。わたしはかなしい恋のうたが好きだ。

 LIVEに行こうと思った。ある年わたしが住んでいる場所に、彼がツアーで来ることになったのだ。だが、そのLIVEツアーのリハーサル中に、村下さんは亡くなってしまった。わたしは村下さんに、会ったことがない。

 DVDを買った。村下さんをずっとプロデュースし続けてきた須藤晃氏が文章を寄せていて、胸を打たれた。

『村下孝蔵は、純情で素直でひょうきんで頑固な人でした。どれも彼の人柄です。それはすべて作品ににじみ出ています。……』

 わたしは映像に見入った。うん。言わなくてもわかる。
 村下さんのうたう姿が、存在が、歌が、心に響いて、わたしは何度も泣きそうになる。

追記
posted by bkntmrg at 19:35| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの本棚から | 更新情報をチェックする
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