2009年02月19日

種の話

 手に種を持っていた。それが必ず芽を出すということを彼女は知っていた。彼女は場所を探していた。
 そこは丘の上だった。右には海が見えていた。左には山や公園や家々が見えていた。大きな木と木のあいだ、一日のうちに、太陽の光を存分に受け、あるいは木の陰にゆったりと休める。彼女はその場所を種の場所に決めた。
 折れて地の上にあった木の枝をひろいあげて、それで土をごりごりとかいた。湿り気を十分に見るまでごりごりとかいて、種をそこに置いた。土をかぶせた。
 じょうろは持っていなかった。途中の水飲み場まで引き返して、両手で水をくんで戻った。二度、同じように水をやった。種を植えた場所には目印はいらなかった。彼女だけがその場所を知っており、彼女だけがその種を大事に思っていた。
 見知らぬ誰かが別の何かを期待してそこを掘り返すことのないように、慎重に元のように戻した。ごりごりとかいた土は手のひらでならし、ぱんぱんとたたいた。これでいいと思った。ここがあの種の場所だと思った。海からの風と、街からの風の吹く、良い場所だと思った。
 帰りがけ、見知らぬ老いた男から声をかけられた。すぐに暗くなるのでお帰り。彼女はこたえる。はい、これから帰ります。男がさらに言った。そうしなさい。しあわせになんなさいね。はい、と返事をする前に、老人はもう背を向け歩き出していた。彼女も家へと向かった。
posted by bkntmrg at 23:08| Comment(0) | TrackBack(0) | scene | 更新情報をチェックする
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